2008年11月28日金曜日

やっぱりアンディ・フグは偉大だったと思う




 K-1といえば、最も印象に残っている選手の一人といえば、僕はK-1の創世記を支えた、アンディ・フグを挙げざるを得ません。

 初期のK-1の中で、四回優勝のアーネスト・ホーストや、三回優勝でトーナメント全試合1ラウンドKOという記録を持っているピーター・アーツのような、圧倒的な強さはありませんでしたが、それでも記憶に残る選手です。


 K-1のヘビー級戦線の中では小柄な体で、かかと落としやフグ・トルネードなどの華麗な技を駆使し、接近戦でも決して逃げることなく戦う姿は、感動的ですらありました。

 そのため、KO負けも多かったですが、それでも1996年には一度トーナメントを制しているのですから。そのころの、マイク・ベルナルドとの3度にわたる戦いはとても記憶に残っています。

 そして、アンディに対し最も感動したのは、その死にざまでした。

 アンディは、亡くなる2ケ月ほど前に、スイスでミルコ・クロコップを相手に、スイスでの引退試合を行っています。(判定勝ち)

 そして、亡くなる1ケ月ほど前にも日本でノブ・ハヤシを相手にワンマッチをこなしています。(KO勝ち)

 おそらく、この試合のころには、自分の命が短いことを知っていたのでしょう。もしかしたら、日本のK1関係者には言えなかったので、ワンマッチのオファーを断れなかったのかな・・・

ウィキぺディアより、アンディの最後の抜粋です。

急性白血病のことは周囲の心配をかけることを嫌い、家族にすら内緒にしていた。また、家族ぐるみで親交のあった角田信朗も、息を引き取る前日まで知らされていなかった。角田が慌てて病院に駆けつけた時には、既にアンディは声をかけても反応できない状態にあり、やがて心肺停止状態に陥った。しかし角田が「何してんねん!」「アンディ、ファイト!」「まだ戦えるやろ!」と声をかけると、アンディの心肺機能が一時復活した。アンディは角田の呼びかけに3度も応え、そして息を引き取った。その時、側にいた主治医は「角田さん、ドクターストップです。もう休ませてあげましょう」と角田を諭した。

 
最後まで闘っていたんですね。男だ、アンディ・フグ。